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2010年10月24日 (日)

諸行無常

 『平家物語』は平家一族の物語であり、滅亡については壇ノ浦の戦いが象徴的である。
 その歴史の一部を、「平知盛」を通して関門海峡で体感してきた。
 『平家物語』の巻頭にある有名な序章、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏へに風の前の塵に同じ。」
 訳文、「祇園精舎の鐘の響きは、万物流転のつねならぬ世の様をつたえ、白じろと散る娑羅双樹の花の姿は、栄える者のかならず滅びゆく道理をつげる。権におごる者の運命は、春の夜の夢のにはかなく、武に強い人の身の上もまた、ついには消えうせること。ひとえに風に吹き飛ぶ塵のようだ。」(『平家物語』国民の文学・中山義秀 訳)。
081_4 写真左 (赤間神宮)
壇ノ浦の戦いに敗れ、わずか八歳で入水した安徳天皇が祀られている。





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写真右 (壇ノ浦古戦場の平知盛像)
手前の像がそうである。入水時の錨を背負った姿である。しかし、『平家物語』では、鎧の上に錨を背負って入水したのは、平教盛、平経盛、平資盛、平有盛そして平行盛とあり、平知盛については、乳母子の伊賀平内左衛門家長とお互いに鎧二領を着て、手に手をとって一緒に海に入ったとある。
向うの像は源義経の像で、八艘とびの姿である。



084_3 写真左 (七盛塚の説明碑)












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写真右 (赤間神宮の境内にある平家七盛塚)
壇ノ浦の戦いで敗れた平家一門十四人の合祀墓。前列に七人の武将たちを祀っていることから七盛塚と呼ばれている。前列左から二番目が平知盛の墓。




 平知盛は、平家の運命も最後となった壇ノ浦の戦いで、舟の屋形に立って、「並びなき名将勇士といへども、運命が尽きては力およばず。されど、惜しむべきは名である。東国の者どもに憶病者の名をとるな。命を惜しまずに力を尽くして戦い末代まで名をとどめよや者ども」(中山義秀 訳)と、平家の武将たちを叱咤し奮起させている。その一方で、奮戦している平教経に対しては「あまり罪を作りたもうな」と、平家の運命を予見し、そして運命が決まった今では意味のない殺生をしないように戒めている。
 この平知盛も「諸行」の「無常」と「盛者必衰」の「ことわり」を自覚している平家一門の一人であったのである。(『軍記物語の世界』「平家物語の構想」永積安明)

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