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2008年8月 5日 (火)

古代の墓

先月の下旬、宮崎県総合博物館主催「遺跡探訪〜諸県の古墳を歩く〜」に行ってきた。場所は野尻町〜小林市〜えびの市である。古墳といっても南九州独特の地下式横穴墓(地下式古墳とも言うそうである)が主な見学だった。珍しい墓である。

小林市にある「東二原地下式横穴群」
現在は二原遺跡公園になっている。昭和63年耕作中に1基が発見され、その後平成2年の圃場整備作業中に次々見つかり、合計16基確認されて現在は遺跡公園として整備保存されている。


「11号地下式横穴墓」保存の家

内部は、地下式横穴墓上部の土を取り去り内部が見えるようになっている。


「8号地下式横穴墓」保存の家

8号地下式横穴墓内部状況や副葬品についての説明。


「11号地下式横穴墓」
手前が竪坑、奥が遺体の置かれる玄室で、天井部はドーム状だったとか。玄室の入口は石で閉塞。玄室の広さ212cm×212cm。人骨は5体(写真はレプリカ)。
副葬品は鉄鏃15・刀子3・剣3・勅刀1・朱玉


発掘時の「11号地下式横穴墓」

『宮崎県史 資料編 考古2』より
4体が頭を玄室右側、1体は他の4体の足元。


「えびの市歴史民俗資料館」

旧石器時代〜近世までの資料が展示。なかでも、えびの市の島内地下式横穴墓群、小木原地下式横穴墓群から出土した副葬品が数多く展示。


展示品の一部
「骨鏃」(骨の矢じり)

人の骨で作ってあるのかとびっくりしたが、鹿の骨で作ってあるそうだ。


展示品の一部
「牡蠣製垂飾品」

牡蠣で作った飾りらしい、ノルウエーの画家ムンクの絵画「叫び」の顔に見えてしまう。
古代人の「叫び」かナ。




5世紀前半から7世紀にかけて出現したと考えられている地下式横穴墓は目標物がないため(造墓時にはあったらしいが)、いつも畑で耕作中とか、ブルドーザーなどの土木機械で圃場整備中に玄室が破壊(竪坑は埋め戻してある)されて発見されている。突然大きな穴が開いて調査が始まり、終ると埋めてしまうので、どのような場所にあり、どのような状態になっているのかは調査報告書や副葬品でしか知ることができない。実物が整備保存されている東二原遺跡(他には西都原古墳群がある)は興味のある人には貴重な場所であろう。

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コメント

自遊人 さん暑い中、大変お疲れさまでした。着々と前進!!中々進まない我が身が痛み入っています。ところで、若干のお訊ねです。人骨の残存状況が良いように思いますが、火山灰の土地で、残存状況の良い、理由は何かあるのでしょうか?また、時代的には、何時頃に当たりますか?もし、よろしければ、お願い致します。暑い中ですが、がんばって下さい!!

流水 さま連日31℃以上の暑さが続いてうんざりです。するべきことは沢山あるのですが、見学の催しなどあるとそれを口実にして出かけ、なかなか学習は進みません。お尋ねの件ですが、見たままの紹介でしたので詳しいことはわかりません。でも聞いた話によると、南九州の土は酸性が強く、土に直接触れていると溶けてしまうらしいのです。しかし、地下式横穴墓は玄室が空洞に保たれているので遺体が土に触れず、又床面に小石を敷き詰めているものもあるのでこれも遺体が土に触れる部分が少なくなり、このような理由で骨の残る確率が高いと聞きました。時代的には遺物などから5世紀前半〜7世紀中頃だそうです。暑さはまだまだ続きそうです。ご自愛ください。

自遊人 さん適切な回答を頂き、ありがとうございます。私の友人に、「人骨大好き」な方が居られ、ついつい、その人の見方になっているようです。(人骨で様々な情報が得られるようです)ありがとうございました。

 前にも紹介していただいていたと思いますが珍しい方式の墓式ですね、特異な集団のものと思われますが2世紀以上に亘って続けられた集団に興味が湧きますね。普通の古墳と共存しているのでしょうか。

流水 さま宮崎県には地下式横穴墓が多いことから良好な人骨が多く出土しています。西都原考古博物館には、温度・湿度管理の下にその数600体と言われる人骨が収蔵されて全国一とも言われています。人類学研究には貴重な資料となっているのでしょう。博物館に移された人骨さんたちは、故郷を離されて何を想っているのでしょうか(涙?)。今、久し振りの雷雨です。瞬時電圧低下でパソコンが停まりました。

朱雀 さま地下式横穴墓はまだまだ疑問が多くて研究されているようです。宮崎県には古墳群(西都原、生目など)が幾つかありますが、古墳(地上の墓)と共存しているのです。時代も同じ頃だそうです。思想の違いからでしょうか?排除しなくて一緒がいいですね。墓の形が家の形をしているのも不思議です。「地下の家」という感じです。

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