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2008年7月

2008年7月16日 (水)

仕事の合間

7月、梅雨が明けた(7/6)かと思ったら夏本番のような天気が続いて、一雨欲しいくらいである。昨年の今頃は、台風4号が九州(大隈半島)に上陸し大変な状況だった。お陰で予定していたスクーリングに行けなかったのを思い出す。今年の7月は仕事(アルバイト)である。学習の方はレポート作成に頑張っている?ところだ。仕事は山間地であるが、近くには川が流れているので、夏の山間地は平野部にいるより気持が良い。建屋から出ると川の水は澄み、木々の濃い緑には心も癒され、暑さも苦にならない。合間には面白い発見や勉強になることも多い。
(一ツ瀬川流域にて)

〇上流(西米良村)

ここは故郷ではないのだが、文部省唱歌「ふるさと」の歌詞「……山はあおきふるさと 水はきよきふるさと」が思いだされる。


〇最上流(椎葉村大河内)

川の側にある岩が人の横顔に見える。
右側はくるくる巻いた髪、左側は目鼻立ちの整った顔に見えるのは僕だけかな?




(小丸川流域にて)
小丸川中流域の児湯郡木城町石河内地区に、武者小路実篤が理想郷として建設した「新しき村」がある。しかし、この「新しき村」の農地が水力発電用のダムで水没することになったため、一部が埼玉県毛呂山町に東の「新しき村」として移転し、残りが「日向新しき村」として存続している。

〇「日向新しき村」

大正7年(1918)、15人の同士と建設し、昭和14年(1939)埼玉県に移転した後も残っている村の入口。実篤自身は昭和元年(1926)「新しき村」を離れ、奈良に住み村外会員となっている。


〇実篤の著書

「友情」は実篤が宮崎にいたころ、大正8年(1919)の作品。


〇川原ダム(九州電力)

昭和13年(1948)、このダムの建設により「新しき村」の農地が水没。


〇実篤の作品に因む「友情」と名付けられたトンネル。

木城町から石河内地区に行く途中にあり、「日日新」と名付けられたトンネルもある。




武者小路実篤は大正7年(1918)「新しき村」の開村時、房子夫人と一緒に入村したが、大正11年(1922)に房子夫人と離婚している。房子夫人は離婚後も宮崎の「新しき村」に残り、天寿〔明治25年(1892)〜平成2年(1990)〕を全うされている。
武者小路実篤が「新しき村」を離れて奈良に移住したのは、『古代の幻』(世界思想社)によると、志賀直哉が在住していたことのほかに、農業を基盤とした村づくりながら、農業経験者が余りにも少ないために農業がうまくいかず、経済的な困窮を実篤自身の執筆活動で支えなければならなかったということ。昭和元年(1926)3月の「新しき村通信」に宮崎よりも奈良では「僕のいることをよろこんでくれる人が多い」。また、奈良では「宮崎と違って僕に一日でも長く居てほしがっている」と、宮崎では地元民から十分には理解されていない。云々とあるが、農業経験者がいなくて困窮していたのは理解できるけど、地元が歓迎していないというのはそうだったのだろうか疑問である。