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2008年6月 8日 (日)

史跡のある地域

現在、みやざき歴史文化館では「宮崎市の文化財�」として宮崎市の指定文化財の一部が展示されているので行ってきた。6/22までの展示である。
その中の一部分であるが興味あったものを紹介すると、

(左上)水晶製勾玉他・(中)金製垂飾付耳飾・(右上)硬玉製勾玉他・(左下)ガラス製丸玉・(右下)ガラス製丸玉と     硬玉製勾玉
 などの装身具類。 





  眉庇付冑





  鉄剣








上の遺物は下北方地下式横穴5号からの出土品の一部である。
「地下式横穴は、古墳時代の5世紀から7世紀にかけて営まれた南九州特有の墓制で、地表から深さ2mほどの竪坑を堀り、その底部から直角に玄室と羨道を設けたものです。下北方地下式横穴5号は、昭和50年7月2日、県指定史跡宮崎市下北方古墳9号墳の周辺部を開墾中に発見され、玄室は妻入形で、奥行535cm、幅266cm、天井までの高さ170cmの規模を有する最大級の地下式横穴です。…」 … 展示説明文より

出土品は装身具・武具・武器類であるが、被葬者は男性?女性?どちらだろうか??

他の地域にある地下式横穴墓で、残っている人骨と副葬品の関係を調べると、女性の被葬者に武器が伴う例は結構あるらしい。武装した女性を想像すると、また興味が膨らむ。

どのような場所から出土したのだろうと、宮崎市市街地の北部の下北方町塚原地区の出土現場に行ってみた。

下北方地下式横穴5号墓はこの周辺であると思われるのだが、住宅地の真ん中であり埋め戻してあるのでわからなかった。数基の円墳も個人宅地の中(庭)にあり簡単に近くへ行けない。標識も壊れかかっていて案内板も無くわかりにくかった。


この円墳も住宅と道に押されやっと残っている。標識がわずかに古墳であることを知らせている。


上の円墳から100mほどの場所にある「景清廟」である。









景清とは平安末期の武将で、『平家物語』巻11「弓ながし」にその活躍ぶりが描かれている。「遠からん者は音にも聞け、近くば目にも見たまえ。われこそ、京童の呼ぶ上総悪七兵衛景清ぞ」(河出書房新社国民の文学)云々とある。伝説は、平家が滅びた後、源頼朝は臣下に望んだが、ニ君には仕えず、源氏の繁栄も見たくないと両目をえぐりとった。頼朝は殺さず日向国に追放したのだそうだ。そしてこの地で没して祀られたのが「景清廟」のようである。史実としては鎌倉で餓死したらしいと聞いた。

ここ宮崎市下北方町塚原地区は平和台下の台地にあり、入り組んだ小道の中に景清廟、帝釈寺をはじめ前方後円墳や円墳など史跡の多くある地域で、散策するにはいい場所のようである。

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コメント

 地下式横穴墳の下北方地方のお話、興味深く拝見しました。やはり宮崎は歴史と神話の国ですね。(高千穂への旅行から昨日帰った、かみさんからも神話の話を聞いたばかりです)私も宮崎へ行ってみたくなりました。

善 さま宮崎県は「神話と伝説のふるさと」と言われています。県北から県南にかけて「ひむか神話街道」という観光ルートもありますよ。いつでもお出で下さい。案内します。

歴史の宝庫宮崎訪問願望がますます昂じてきました。善さんと組んで行ってみたい気がします。 奈良にも住宅地に削られて肩身狭そうに残っている古墳があちこちにあります。

朱雀 さま時間を作っておいで下さい。大阪からは直行便で、海の玄関、空の玄関、どちらからでもOKです。連絡いただければ、迎えにまいります。

天気予報では、入梅後九州地域には、大雨の情報ですが、大丈夫だったでしょうか?中国地域は、やっと昨日入梅となりました。とたんに、雨の日が続いています。田植えも先週末に終えたところで、丁度良い雨振りです。雨も、多すぎると困りものですが、適当が丁度良いくらいです。宮崎探訪、燃え上がっていますが、「新婚旅行の地」を再び訪ねてみたいものです。

流水 さま昨夜までは降っていましたが、梅雨前線も南に下がり、今日は午後から晴れました。明日も晴れそうです。宮崎ブームにはビックリしています。6/11には、宮崎県庁を訪れた観光客が50万人目を突破したそうです。1年2ヶ月でですよ。来年3月まで予約が入っているそうですから、またオドロキです。ぜひおいでください。地鶏も待っていますよ。

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