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2007年5月

2007年5月30日 (水)

ちがや

付近を散歩すると、畦道や土手に生えている「ちがや(茅萱)」を多く見かける。万葉集にも詠まれていると聞いていたので、古くからの植物であろう。

「ちがや」は、万葉集では十数首の歌が詠まれていて、その内の一首。

万葉集 333 帥大伴卿(大伴旅人)

「浅茅原(あさぢはら) つばらつばらに もの思(も)へば 故(ふ)りにし郷(さと)し 思ほゆるかも」
(岩波文庫 新訓万葉集より)

歌のなかで「ちがや」は「浅茅原」と詠まれている。

作者は大宰府の長官として九州にいたので、故郷奈良の浅茅原を思い出して詠んだのかもしれない。

白い穂は、火打石の火口(ほぐち…火打石を使って火を起こす時、火種にする)に利用されていた、そうである。

子供の頃は「つばな」と言っていたが、「ちがや」の別名でもあるそうだ。

白い花穂が出てくる前の穂を抜いて、中のしっとりした幼い穂を取り出し食べると、柔らかく、ほのかに甘かった。

何も無かった子供時代、遊び仲間と一緒に、「つばな」を採って食べた思い出がよみがえる。

「つばな」のことを孫に話すと、「昔は草を食べていたの?」と、言われてしまった。

2007年5月23日 (水)

神話と景気

戦後の好景気は1955(昭和30)年から始まっており、それぞれ名前が付けられている。

始まりは、神武景気1955〜1957年
(神武天皇が即位した年、以来の景気ということで)

次が、岩戸景気1958〜1961年
(天照大御神が、隠れていた天岩戸から姿を見せて以来の景気ということで)

その次が、いざなぎ景気1965〜1970年
(神武景気や岩戸景気を上回る好景気のため、日本列島をつくった男神の名を付けた)

というように「記・紀」に語られている神話から名づけられている。

最近、景気のことで高千穂町に伝えられる、天岩戸神話を思い出した。

沈滞気味だった宮崎に、東国原という 主(ぬし) が現れて沈滞ムードを破り、宮崎にも活気が出てきたのである。

主 が現れてすぐに鳥インフルエンザが発生し、宮崎の養鶏農家が大打撃を受けたように思えたが、 主 のPR効果と味の良さで、光がさしたように宮崎の鶏が大人気となり、売れに売れ、災い転じて福となった。

それもそのはず、宮崎の鶏は神代の昔、世の中を明るくする手助けをしたのだから。

「記・紀」にも語られているとおり、天岩戸に隠れていた天照大御神を引っ張り出そうと、神々の作戦で、アメノウズメノミコトのストリップと同時に長鳴鳥(鶏)を集め鳴かせている。

それが功を奏し、天照大御神が天岩戸から出られたので、世の中が明るくなったというのだ。その血を引いている宮崎の鶏だから、暗いまま(売れない)のわけがない。

というように、活気ある宮崎の復活に天岩戸神話が思いだされたのだ。

又、 主 は宮崎を全国に知ってもらうために県庁ツアーなるものを計画。

西都原もコースに入っているため、考古博物館の来館者が急増し、全国的に認知されると関係者は喜んでいる。

神々の物語が多い宮崎は、なにゆえに神話の舞台となりえたのだろうかと疑問もあるが、それよりも神話は夢がある。

2007年5月16日 (水)

昼食はうどん

今日は奥さんと意見が合い、昼食は「うどん」になった。
行く先はよく行く店、「吉長うどん」にする。
この店はお客さんが多いので、早めに(11時30分頃)行くも、ほぼ満員状態。いつものことなので、並んで順番を待つ。
この店は、行った人なら誰でも認める、価格の安さ、量も満足、それに美味いことである。どこかの首長さん、議員さんの顔もみえていた。
待つこと数分、目の前で手際よくドンブリに盛られて「うどん」が出来上がった。


店名看板と品書、値段。

撮影ミスで、右側の

たぬきうどん・そば190円、
並うどん・そば160円

の値段が抜けている。
注文の品
・自遊人は右側
天か(さつま揚げ、天カスとねぎ)うどん250円+おにぎり80円 小計330円
・奥さんは左側
たぬき(天カスとねぎ)うどん190円+いなり120円 小計310円   合計 640円
麺は讃岐うどんのように腰はない、かといって軟らかすぎるわけでもなくモチモチ感がいい。汁はイリコ出しで濃い目である。麺と汁がうまく絡んで美味しく感じる。最後の汁まで飲み干した。
二人で1000円以内とは、年金族にとっては非常に有り難く、庶民の味方の店である。

満足して外にでると、入るときは気付かなかったが、店の軒先にツバメの巣があり、子ツバメがこちらを見ていた。この光景に遭うと梅雨の季節を感じる。
家に帰ったら、沖縄が梅雨入りしたとのニュースを聞いた。

2007年5月 9日 (水)

九州南部の古墳

       西都原考古博物館の特別展覧会が開催中
九州南部(熊本・宮崎・鹿児島)の中期古墳について検証がされている

列島弧最西の地に色鮮やかな古墳文化をみる―肥後

九州最大の前方後円墳が築かれた地に、地上と地下の黄泉の国が共存する―日向

前方後円墳築造の南限に、列島支配の楔は打ち込まれたか―大隈
  (以上、図録より)

展示資料は以下の古墳より出土した土器、埴輪、鉄製武器、短甲・冑、馬具など。


展示資料出土古墳分布図

肥後(熊本県)の古墳
塚原古墳群・清原古墳群の江田船山古墳は墳長62mの前方後円墳で、「治天下獲□□□歯大王…」と銀象嵌された大刀が発見されている(展示はされてない)。


日向(宮崎県)の古墳
西都原古墳群(女狭穂塚 墳長180m九州最大の前方後円墳・男狭穂塚 墳長175m列島弧最大の帆立貝形前方後円墳など)・西都原対岸の児屋根塚古墳(茶臼原1号墳)・延岡市の浄土寺山古墳(南方39号墳)・宮崎市の生目古墳群(墳長143mの3号墳は、4世紀代の古代日向最大の前方後円墳で、古墳群の造営集団は古墳時代前期における盟主的立場にあった−図録より)・えびの市の島内地下式横穴墓群・野尻町の大萩3号地下式横穴墓。

大隈(鹿児島県)の古墳
前方後円墳築造の南限、志布志湾沿岸、前方後円墳を有する古墳群の密集地であり、5世紀代に墳長150mの唐人大塚古墳・墳長132mの横瀬古墳の両巨大古墳が出現する。この前方後円墳の存在は、倭政権支配の浸透を示唆するものであったのか。−図録より
横瀬古墳・神領10号墳・岡崎18号墳 1号・2号地下式横穴墓

展示品である神領10号墳より出土の武人埴輪

出土した時(2006年10月)の新聞
「当時の有力者が製作技術をもっていた人物を近畿地方などから呼び寄せ、その指導のもとに地元の人間が作ったものではないかとみている」
との記事がある。
どうしても日本人の顔に見えない。渡来人の顔としても朝鮮系には見えないし、西洋人の顔に見えるが、果してモデルは何処の人だったのかsign02