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2006年11月

2006年11月27日 (月)

佐賀県

西都原考古博物館のボランティアスタッフ研修旅行に参加。佐賀城本丸歴史館(同館入口…写真)にフェートン号事件に関する展示物がある。その事件とは、日本が鎖国時代長崎港にオランダの旗を立てた一隻の軍艦が入港。同艦への検使者は人質にされ(後に解放)る。
その船は当時入国を禁じられていたイギリスの船(フェートン号…写真)だった。そのような船は焼き払うようになっていたが、逆に脅され、水、燃料、食料などを要求される。この時、長崎港を警備する番になっていたのが佐賀藩だったのに、太平の世に慣れていたのか警備を手薄にしていたのだ。日本(幕府)側は何も手の施しようがないまま、イギリス船の要求を飲み出航させてしまう。手持ちの兵力も無く、侵入船の要求に応じざるを得ず国威を辱めたとして長崎奉行は自ら切腹。警備担当の佐賀藩にも非難がおこり家老以下数名が切腹した事件である。現在で考えると、法律違反は起こしたが、人的被害も無く、食料、燃料を与えたのは人道的援助ということで、関係者は職を辞して一件落着になるところだろうが、当時の武士道精神には敬服する。佐賀藩の「葉隠」に「武士道というのは死ぬことと見つけたり」という文章がある。藩士にしてみれば、上からの命令で警備を手薄にしたと言い逃れもできたであろうに、武士道に反したということで切腹したのか。生命を粗末にしているようであるが、自分の責務は確実に守る気を持ち、それが出来ないなら、死をもいとわない、それだけ自分の仕事を真剣に考えていたということか。今の自遊人には武士になる資格はないナー。
「からつ末盧館」にて。稲作伝来のルーツを知ることが出来る。日本の水田農業は佐賀(菜畑遺跡)から始まったそうである。稲作は長江流域から朝鮮半島経由で、今から2500年〜2600年前の縄文時代晩期に伝えられた。小区画(20〜30�)の水田跡も発見されている。

2006年11月20日 (月)

東京

息子が母親の還暦を祝って(父親には無し)東京へ招待してくれた。
滞在中のある日、国立博物館に行く。特別展は「仏像」。
観覧料は一般1500円、大学・高校900円。年金受給の老年の身であるけれども一応大学に籍があるので、恥ずかしかったが学生証を提示する。受付の女性はチラッと見たが900円でOKだった。(なんか得した気分になる)特別展の「仏像」では、数ある仏像の中で木喰(1718〜1810)の作品が印象に残った。図録のなかで(写真も図録より)その表現は素朴であるが、表面を丸く穏やかに仕上げている。木喰の自作の歌に「みな人の心を丸くまん丸に どこもかしこもまるくまん丸」とあるのにふさわしい。村人に幸いをもたらす仏像を、村人のために造ってる。怒りの顔の仁王も、神将も明王も丸顔でユーモラスであり実に親しみやすいとある。なるほど、見れば見るほどに心が癒される。故郷にも木喰の作品が残っているので特に親しみを覚えた。索漠とした今の世、この笑顔が忘れられているとおもうのだが。

平成館の「考古展示室」にて。
部屋の中心にデーンと置いてあった展示品にビックリ。西都原古墳群出土の「子持家形埴輪(重要文化財)」である。西都原考古博物館でお客さまを案内する時に「ここにあるのはレプリカで、本物は東京の国立博物館にあります」と、まだ見てないのに知っているように説明していたので、これからはちゃんと説明できると心に余裕、一安心したのは言うまでもない。
博物館内は広くて、本館、東洋館、平成館、法隆寺宝物館などあり、とても1日では回りきれない。17時には「後ろ髪を引かれる思い(あまり無いけど諺)」で博物館を後にした。帰る途中、やけに警備が多いと思っていたら、美智子皇后が閉館後の「科学博物館」に行かれるとかで通る車を見送った。さすが東京である。でも、人の波、食べるための行列には参った。生活するには今の田舎が一番と思った自遊人の東京滞在であった。

2006年11月13日 (月)

しって米はうまい

(写真)11月1日に採った「しって米」の乾燥状況

11月12日再び「しって米」を採りに行ったが、田んぼは既に掘り起こされていた、残念。11月1日分が乾燥していたので持って帰る。
(写真)コイン精米機

この機械が、籾の量に応じてコインを入れると、玄米や白米にしてくれる。白米を選択して200円を入れる。
(写真)白米の誕生

茶色の外皮がとれて、きれいな姿に変身。米は、ここまでなるのに、88の手間がかかっていると言われている。おいしいご飯になりそうだ。
(写真)炊き上がった「ご飯」 写りは悪いが実際はうまそうに見える

食べると、香ばしくて、ねばっこくなく噛みしめると甘みがでてくる。うまい、と声が出た。寿司屋さんが欲しがるのも納得。お米を見直すことにしよう。

2006年11月 5日 (日)

地下式横穴墓

西都原古墳群
300万本のコスモスが真っ盛り。
11月4〜5日で西都古墳まつりが行われた。
前方の古墳は「鬼の窟古墳」。この古墳の南側(右手の方)300mに、酒元ノ上横穴墓群の遺構保存覆屋がある。
7世紀前半の「酒元ノ上終末期地下式横穴墓(横穴墓と融合しているのでいわれる)」
地下式横穴墓は南九州にしか見られない特有の墓である。
1〜6号墓道が発掘時そのままに覆屋の中に保存されている。
6号墓道は奥に1号横穴墓、右側壁に2号横穴墓をもつ1墓道2穴のタイプ
2号横穴(手前の穴)長さ1.6m 幅1.1m 高さ0.9m 床面には河原石が敷かれ、ここに成熟した女性が埋葬されていた。
2号横穴の状況。熟年女性の人骨と刀・耳環・須恵器などが出土。玄室が自然の地盤の中で密閉され、空洞になっているためか、他の墓制に比べて人骨や副葬品の保存状態が非常によいことが知られている。この人骨はレプリカで、本物は西都原考古博物館に収蔵されている。

2006年11月 1日 (水)

しって米

稲刈りが済み、稲の切株から芽が出る二番穂の米を「しって米」と故郷では言う。ここは義兄が作っている田んぼ。早期米の収穫が終わって2ヶ月。切株の稲穂が大きく育ち実もたわわsign02である。「しって米」は美味しくて、寿司屋さんが重宝しているらしいと聞いたことがある。
義兄は近いうちにこの田を掘り起こすと言う。それでは田んぼの肥やしになるだけ。女性陣の「もったいない」の言葉で収穫することにした。ところが、コンバインは稲刈り後、手入れし保管しているので使えないとのこと。そこで、農業未経験者の手での収穫になったのだ〜が。
農業未経験の三人(恰好は様になっている)が一穂づつ手でしごいて籾を落とすのだ。気が遠くなるような作業である。当然であるが思うように収穫できない。弥生時代の石包丁(穂を摘む)は、このような作業の中から考えられたのだろうかsign02必要は発明の母と言う。
一人分の収穫は4時間でこれくらい。三人での作業結果、総収穫量は籾で2升(白米ではsign02)ほどだった。この後、収穫した籾→乾燥→精米の作業が残っている。最初の意気込みとは程遠かったが、収穫の喜びは、この米が口に入ってからわいてくるだろうかsign02