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2006年9月

2006年9月25日 (月)

講演会

公開講演会(「考古科学の最前線」西都原から世界を駈ける文化財保護)が、9月23日宮崎市民プラザ オルブライトホールで催された。
特別講演として、俳優で考古学者としてもよくしられる、刈谷俊介氏も出席されていた。
刈谷氏は、心の闇社会として、現在の日本社会は科学技術文明のなかで人間性の喪失による社会の崩壊がみえてくる。それには、かっての人間は自然との共生から生まれた世界観の許で生活していたように、精神文化を取り戻す必要がある。それは精神活動の産物である、先祖が残した地下に眠る埋蔵文化財(遺跡)から得られる。物質的利害損得だけに塗りつぶされた現代は、遺跡から、人類が残した文化の移り変りとその背景を成す世界観を明らかにし、未来にふさわしい世界観へ継承する学問(考古学)を通して見直されることで明るい社会が約束される。という話しであった。
韓国や中国の研究者の自国についての紹介もあった。
韓国は石造文化財の保存研究についての難しさや、中国は文化遺産保護の動向と課題について、文化遺産の保護には人間優先が原則だが課題が多いなどの内容だった。
 
地元から西都原考古博物館の北郷主幹が、テーマ「西都原から世界と未来が見えるー史跡整備の展望と課題ー」を講演。史跡の整備は、「大地に刻まれた歴史」を読み解くに必要なルビ、インデックスそして用語解説等の役割を担うものと考えられ、考古博物館は考古学辞典として機能する。保存された史跡は、周辺の自然景観とも一体となり、これは未来に引き継いでいかなくてはならない。西都原古墳群を読み解くことは、一古墳群の変遷に留まらず、南九州の古代史を読み解き、引いては列島弧の古代史を東アジアの世界史を読み解くことに繋がる。地域の歴史は閉じられた存在だけでなく、常に世界へとひらかれているのだ。という内容だった。
史跡整備の一部
(写真は紹介された説明用ではなく現在の状況。)
中の写真 西都原古墳100号墳(4世紀前半 墳長 約57m 前方後円墳) 保存状況説明文(葺石の残存状態が良かったため、盛土面及び葺石にイソシアン酸エステル系化合物塗布・注入するなどの保存処理を施し、露出展示。)
下の写真 西都原13号墳(4世紀後半 墳長 80m 前方後円墳) 保存状況説明文(3段築製の状況を芝生整備。20分の1の復元模型を設置。埋葬施設を見学できるよう、墳壙を掘り上げ天上を設置し、内部に入って粘土槨や副葬品の出土状況を整備。鉄骨等には発泡ウレタンを吹き付け、結露対策を施している。)
[思ったこと] 人間は年をとると昔を語りたくなるし、また、歴史が好きになってくる人が多いと言われている。それは自然に返る準備sign02物質欲のある内は、自然の偉大さ、大切さはわからないが、意識せずとも年寄りと言われる頃から、心も純粋になる原体験の時代にもどりはじめ、やがて自然にもどる(土に返る)。凡人は、動植物の死を見たとき、自然の一部と実感するsign02  

2006年9月20日 (水)

スクーリングは楽しい

久しぶりの奈良だった。
大学に行く朝、近鉄奈良駅の4番ホームのベンチに座り京都行きの電車を待っていると、駅構内の清掃のおばさんや、電車が着くたび目の前を通る人の中に昨年と同じ顔を見た。当たり前のことだが何か不思議な気がした。
今回のスクーリングは4科目の受講。1社会学基礎 2データ処理論 3史学購読� 4国際関係論� それぞれの科目にレポート提出あり、苦戦したがどうにか終わる。
写真 近鉄奈良駅の東出口にある行基像(行基菩薩と称される高名な僧)。待ち合わせの場所である。自遊人も学友とここで待ち合わせて飲みに行った。

スクーリングの合間にあちこち散策。

写真 猿沢池近くにある昔の「みちしるべ」である。
行く先を歩数で案内していたのだ、ビックリ。



                                                      女人高野といわれる室生寺にも行ってきた。ミンミン蝉がいたので五重塔(国宝)をバックに撮影。五重塔は平成10年、台風により大きな損傷を被ったが、平成12年に修復、落慶している。

興福寺を散策していたら、興福寺南円堂(西国三十三ヵ所第9番)に俳優の榎木孝明が来ていた。しばらく見ていたら水彩画家でもある彼が南円堂をスケッチしているところを撮影していた。地方ではなかなかこんな場面に会うことはない。