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2006年6月

2006年6月25日 (日)

古墳にドキッ

西都原古墳群の紹介

西都原古墳群は東西2.6�、南北4.2�の範囲に分布する古墳の総称です。この中に、 311基(前方後円墳31基、円墳279基、方墳1基)の古墳と、南九州独自の墓である地下式横穴墓などがあります。

この中の30基について、大正元年(1912年)〜大正6年(1917年)にかけて、日本考古学史上初めての本格的な発掘調査が行われています。

記紀神話に彩られた「皇祖発祥の地」としての古代日向の歴史を実証するものであったようです。

記紀神話の実証については定かではなかったようですが、重要文化財となっている「子持家形埴輪」「舟形埴輪」などが発掘されているので、それなりの成果はあったのでしょう。

写真の古墳も、この時発掘調査された「姫塚」と呼ばれている202号墳(柄鏡形前方後円墳)です。出土品は須恵器・直刀・刀子・鉄鏃・勾玉などなど。
墳長52m 前方部 幅30m高さ5m 後円部 径28m高さ6m 築造6世紀後半。

この古墳、見つめていると、艶(なまめ)かしく感じませんかsign02曲線の美しさにドキッとするのは私だけ。 

古墳はそれぞれが、さまざまな姿をしています。

それぞれの姿を楽しむには、夏草の生い茂った季節より、夏草のべールを脱いだ冬場の季節が、私は好きです。

2006年6月20日 (火)

やっぱり観音様

5月に受験した科目修得試験の結果が送ってきました。
今回はアクシデントがあり、なかば諦めていましたが、送ってきた封筒を開けてビックリsign01

予想外にも、受験した3科目とも合格(60点以上)していました。

5月27日、受験科目・シルクロード学 問題・中央アジアのトルコ化とイスラー       ム化について述べよ。(60点)
必死に考えた答案と思われたのか、情けの点sign02で合格させてもらいました。

5月28日、受験科目・文化人類学 問題・市場社会の特徴について述べよ。        (80点)
       受験科目・考古学概論 問題・年輪年代法とはどのような年代決        定法ですか。(79点)
いづれも、私なりに頑張ったので有難い点数です。

受験するからには、私なりに努力もしましたが、周囲の方々のお陰に感謝せずにはいられません。

私の観音様は黙して語らず(あたりまえだ)。しかし、「頑張ったね」と言っているように見えてくる(笑)


2006年6月16日 (金)

献血

献血(400ミリリットル)に行ってきました。

献血は自分の健康管理と、意識せずに人の役に立っていることで、一石二鳥でしょうか。

今回が30回でした。年2回の実施を心掛けているので15年続いたことになります。

写真のような30回記念品をもらいました。

ところでこの記念品は何でしょう ? 私は、ガラスの盃とみました。

この記念の盃で今晩はダリヤミをし、一杯目が五臓六腑にしみわたり、幸せを感じました。(この気持ちは飲む人でないと分からないでしょう)

焼酎を飲むにはもったいない気がしましたが、盃も、使うことで人の役に立つのでしょうから。

現在まで献血できたのは、焼酎も役に立っていると言っても間違いではないので、この盃で毎晩のダリヤミをして健康に過ごし、献血出来る年齢(69歳)まで続けられたらいいなと思っています。

この盃の作者(造形作家の多田美波氏)のプロフィールのなかで、

みんなが幸せに生きて行ける世の中である様に、何か、少しでも人の役に立ちたいと思うのは誰しも同じでしょう。

例え、何かしても、中々目に見えて来ないと、本当に人の為になっているという意識がはっきりしないものです。

それを見ることが出来る様なものがあれば、自分の心も楽しくなって自信が湧いてくるのでは、…とそんなものを作って見たいとおもいました。
 とあります。

私達凡人は何も表現できるものはありませんので、せめて我が身を提供(献血)、というところでしょうか。


2006年6月13日 (火)

金覆輪の鞍

国宝の「金銅製鞍橋金具後輪」(西都原考古博物館所蔵 復元品)の紹介です。

出土 西都市百塚原古墳群 古墳時代後期 幅 65.2�
五島美術館蔵

1916年(大正5年)頃、盗掘され、転々と人手にわたり、現在は五島美術館に収蔵されているそうです。

鞍橋(くらぼね…鞍の骨組みをなす部分)に金の覆輪がほどこされているので「金覆輪の鞍」とよばれており、竜文を唐草文様的に表現した透彫がされています。

大阪府の誉田山古墳(伝応神天皇陵)の陪塚である丸山古墳から出土した、国宝の「金銅透彫鞍金具」とならぶ古墳時代の馬具の優品だそうです。

ここで気になることは、この遺物が丸山古墳で発掘されたものと類似していることです。古代日向とヤマト王朝との間に緊密な交流があったものと考えられています。

西都原古墳群の代表的古墳である女狭穂塚男狭穂塚の埋葬者が、応神天皇の子である仁徳天皇の妃(側室)である髪長媛とその父である諸県君牛諸井と推定している研究者もいます。尚、髪長媛と諸県君牛諸井は古事記・日本書紀に出てきます。


ところで、西都原考古博物館の「金銅製鞍橋金具後輪」は4月22日〜6月4日滋賀県立安土城考古博物館の特別展「吾、天下を左冶す」に貸し出されていましたので、見られた方がいらっしゃるかも。

2006年6月 9日 (金)

何に見えますか?

1ヶ月ぶりの更新です。
朝のウオーキングでいつも見ている風景が、4月のある日何か違って見えた。それも前方の遠景が観音様の寝姿(仰向けの姿勢)に見えるのだ。左が顔、右が胸。それは昨年、奈良の寺院で行く度も目にした観音様の姿のようだった。それは何故か?5月に奈良へ行くので、その思いだったからだろうか?それも遊びでなく試験に行くのだから真剣に奈良のことを考えていたのか?そうだろうな。
結果は、出発からつまずく。前日の飛行機が欠航。当日も早朝から空港へ行くも遅延。大きく遅れて大阪へ。バスで奈良へ、そして電車で高の原。ところが安心したのかちょいと寝てしまい乗り過ごし、あわてて奈良行きの電車で後戻りするも高の原駅からバスなし。歩いて大学へ。予定の試験は1科目しか受けられず。それも見込みなし(残りは翌日へ)。翌日は落ち着いて受験したが結果は「観音様」が知るのみ。高い旅費だしてまで行ったその心意気を、観音様お願いというところだ。
しかし、8ヶ月ぶりに学友に会えたのは嬉しかった。